古事記
神皇正統記
風土記
日本書紀
第1题:
ある日、友だちの吉崎さんが突然「卵は立つと思いますか」と言い出すのです。 「立春の卵という話は聞いたことがあるけどね。」 「卵は立春であってもなくても立ちます」吉崎さんは断言します。 翌日,吉崎さんはいくつかの卵を持って来ました。机の上で卵を立てようとする。コロンブス(哥伦布)はゆで卵(煮鸡蛋)の先を潰して立てたそうですが、吉崎さんは、生のままの卵を、そのままの形で立てようとしている。1分、2分、やはりだめじゃないかと言おうとしたその瞬間、卵は立ったのです。 吉崎さんは満足そうに笑っています。 「なるほど、立つのか。」 家に帰って。冷蔵庫から卵を取り出して実験を繰り返しました。焦っていると、なかなか立たない。心を静かにして落ち着いてやると、やはり立つのです。全部ではないが、いくつかは、立ちました。 机の上にすっきりした形で立つ卵をじっと見ながら、わたしはこう考えました。 先入観(先入为主)というのは(ア)ものです。コロンブスの卵の話があるために卵は細工(加工)をしないと立たないという思い込み(深信不疑)が広がりました。それと、立春の卵の話が重なります。立春のころになると、ときどきそのことが話題になります。すると、おかしなことに人々はこう思い込んでしまったのです。「立春の日に立つか立たないかが話題になる、ということは立春の日以外は当然、卵は立たないのだ」と。文中に「細工をしないと立たない」とあると、そう思っているのはだれか()。
第2题:
()編纂の最大目的は、諸氏族の持つ伝承を統一し、天皇支配の正当性を示して天皇を中心とした国家統一をすすめることにある。
第3题:
初めて人前で話をした時のことである。200人もの聴衆(ちょうしゅう)を相手に円説するということが、どんなに恐ろしいものか、壇上(讲台上)に立って初めて分かった。 テーブルの上には原稿を広げていたし、それを見ながらしゃべり出していた。 しかし、まるで雲に向かって話をしているような感じだった。わたしの話を理解してくれる人が得られるのだろうか。 (ア)、話しているうちに、ふと()気づいた。会場のあちこちに、柔らかく光るものがあったのだ。その「光」は人の目であった。 とたんに(瞬间)不安感は消えた。この「まなざし(目光)」を相手に、素直に(坦率地)話し続ければいいのだと思った。自分の声に自信が出るのを感じた。話をなんとか予定の時間どおりにすることができた。そして大きな拍手までいただいた。 初めて力を与えてくれた何人かの「まなざし」は、相手を知ろう、理解しようという心の現われだったに違いない。その心によってわたしは守られた。飾りを捨てて、ありのまま自分を見せながら語ることができた。それで初めて聴衆の多くと心を通い合わせるチャンスを得たのだ。 人は自分を分かってくれようとしている相手に対して、心を開くものだ。だから、相手に分かってもらいたければ、まず相手を分かろうとするところから出発すべきだろう。 30分間の壇上の体験で、わたしは大切なことを学んだ。それ以来、どんな人にも「あなたを理解したい」という心を、できるだけ「まなざし」に表すことにしている。文中に「わたしは大切なことを学んだ」とあるが、学んだことはどれか()。
第4题:
ある日、友だちの吉崎さんが突然「卵は立つと思いますか」と言い出すのです。 「立春の卵という話は聞いたことがあるけどね。」 「卵は立春であってもなくても立ちます」吉崎さんは断言します。 翌日,吉崎さんはいくつかの卵を持って来ました。机の上で卵を立てようとする。コロンブス(哥伦布)はゆで卵(煮鸡蛋)の先を潰して立てたそうですが、吉崎さんは、生のままの卵を、そのままの形で立てようとしている。1分、2分、やはりだめじゃないかと言おうとしたその瞬間、卵は立ったのです。 吉崎さんは満足そうに笑っています。 「なるほど、立つのか。」 家に帰って。冷蔵庫から卵を取り出して実験を繰り返しました。焦っていると、なかなか立たない。心を静かにして落ち着いてやると、やはり立つのです。全部ではないが、いくつかは、立ちました。 机の上にすっきりした形で立つ卵をじっと見ながら、わたしはこう考えました。 先入観(先入为主)というのは(ア)ものです。コロンブスの卵の話があるために卵は細工(加工)をしないと立たないという思い込み(深信不疑)が広がりました。それと、立春の卵の話が重なります。立春のころになると、ときどきそのことが話題になります。すると、おかしなことに人々はこう思い込んでしまったのです。「立春の日に立つか立たないかが話題になる、ということは立春の日以外は当然、卵は立たないのだ」と。立春の卵という話に合っているものはどれか()。
第5题:
では、子どものころの夜の話をしましょう。わたしが5つ、弟が2つのころでした。 「さあ、寝ましょう。」 お母さんがそう言うと、弟は踊るように喜びました。今でもそれが目に見えるようです。それというのが、お母さんといっしょに寝られるからなのです。 わたしも、お母さんの背中の方に入りました。ときには、お母さんの背中に、指で字を書いたりしていました。ほんとうは、まもなく、お母さんがしてくれる昔話を待っていたのです。弟が(ア)、お母さんはわたしの方に向いて、 「昔、昔、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。……」 こう、お話を始めました。といったところで、お母さんはもうとても眠くなっていて、ほとんど半眠りだったのです。だから、「桃太郎」の話が途中で、「舌きりすずめ」になったりしました。 (イ)、話を続けている間はまだいいほうで、話もせずに眠っていることもたびたびでした。それを何度も起こし、また、話の筋を、わたしがお母さんに教えたものです。それでも、そうしてお母さんから話を聞くのは、なんとも楽しいものだったのです。文中に「ときには、お母さんの背中に、指で字を書いたりしていました」とあるが、その理由はどれか()。
第6题:
私たちはあることを人に説明しようとするとき、わかってもらうためにいろいろな工夫をする。その工夫を重ねること()、私たち自身の理解もさらに深まるのである。
第7题:
ある日、友だちの吉崎さんが突然「卵は立つと思いますか」と言い出すのです。 「立春の卵という話は聞いたことがあるけどね。」 「卵は立春であってもなくても立ちます」吉崎さんは断言します。 翌日,吉崎さんはいくつかの卵を持って来ました。机の上で卵を立てようとする。コロンブス(哥伦布)はゆで卵(煮鸡蛋)の先を潰して立てたそうですが、吉崎さんは、生のままの卵を、そのままの形で立てようとしている。1分、2分、やはりだめじゃないかと言おうとしたその瞬間、卵は立ったのです。 吉崎さんは満足そうに笑っています。 「なるほど、立つのか。」 家に帰って。冷蔵庫から卵を取り出して実験を繰り返しました。焦っていると、なかなか立たない。心を静かにして落ち着いてやると、やはり立つのです。全部ではないが、いくつかは、立ちました。 机の上にすっきりした形で立つ卵をじっと見ながら、わたしはこう考えました。 先入観(先入为主)というのは(ア)ものです。コロンブスの卵の話があるために卵は細工(加工)をしないと立たないという思い込み(深信不疑)が広がりました。それと、立春の卵の話が重なります。立春のころになると、ときどきそのことが話題になります。すると、おかしなことに人々はこう思い込んでしまったのです。「立春の日に立つか立たないかが話題になる、ということは立春の日以外は当然、卵は立たないのだ」と。文中の「言おうとした」人はだれか()。
第8题:
「文化」というと、すぐ芸術、美術、文学、学術といったものを頭に思い浮かべる人が多い。農産物や農業などは「文化圏」の外の存在として認識される。 (ア)文化という外国語のもとは、英語の「カルチャー(culture)」の訳語である。この語のもとの意味は、また「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。 これが日本語にらると、すべて「心を耕す」方面ばかり考えられて、初めの意味がきれいに忘れられて、枝先の花である芸術や学問の意味が重視されてしまった。しかし、根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草に等しい。 文化の(イ)が耕すことであるというと認識は、西欧の学界が数百年にわたり、世界各地の社会に接触し調査した結果、あるいは書斎における思索などを総合した結論した調査、あるいは考古学。文中に「根を忘れる」とあるが、その「根」の指すものはどれが()。
第9题:
「文化」というと、すぐ芸術、美術、文学、学術といったものを頭に思い浮かべる人が多い。農産物や農業などは「文化圏」の外の存在として認識される。 (ア)文化という外国語のもとは、英語の「カルチャー(culture)」の訳語である。この語のもとの意味は、また「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。 これが日本語にらると、すべて「心を耕す」方面ばかり考えられて、初めの意味がきれいに忘れられて、枝先の花である芸術や学問の意味が重視されてしまった。しかし、根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草に等しい。 文化の(イ)が耕すことであるというと認識は、西欧の学界が数百年にわたり、世界各地の社会に接触し調査した結果、あるいは書斎における思索などを総合した結論した調査、あるいは考古学。この文章では、文化に対する知識として、正しくないものはどれか()。
第10题:
「文化」というと、すぐ芸術、美術、文学、学術といったものを頭に思い浮かべる人が多い。農産物や農業などは「文化圏」の外の存在として認識される。 (ア)文化という外国語のもとは、英語の「カルチャー(culture)」の訳語である。この語のもとの意味は、また「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。 これが日本語にらると、すべて「心を耕す」方面ばかり考えられて、初めの意味がきれいに忘れられて、枝先の花である芸術や学問の意味が重視されてしまった。しかし、根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草に等しい。 文化の(イ)が耕すことであるというと認識は、西欧の学界が数百年にわたり、世界各地の社会に接触し調査した結果、あるいは書斎における思索などを総合した結論した調査、あるいは考古学。文中の「初めの意味」はどれが()。